読み物一覧

視座としてのテクノロジー

#column
2021/06/21

中野 雅俊

前回の記事では、アートを通じてものの見方や感じ方が広がり、生活や人生の幅が広がっていく、視点や視座の持ち方によって、今目の前にしている世界の映り方が変わっていくことについて触れました。

今回はもう一つ、視座として取り入れたい「テクノロジー」について解説したいと思います。

テクノロジー(サイエンス含む)の分野では、ここ数十年の間にパソコンやインターネットなどのIT技術が花開き、AI、ブロックチェーン、量子コンピューターなど日進月歩で新たな技術が続々と生まれてきています。

普段こういった分野に触れない方にとっては、よくわからない、難しそうという印象が強く、普段の日常生活における「新しい視座」としてのイメージはわかないという方がほとんどだと思います。

ここで一つ、量子力学をテーマにテクノロジーとしての視座の例を紹介したいと思います。

量子力学を通じて見る生命

量子力学を新しい視座として取り入れるというと、ますますわけがわからないと思われるかと思います。

しかし、量子力学の発展に大きく貢献したシュレディンガーという物理学者は、「生命とは何か」という著書の中で、量子力学を通じてみた生命を説いています。

量子(原子や陽子、電子)の集合体である生命体はエントロピー増大の法則という原理原則に支配されており、それに抗い命を紡いでいくために食物を摂取している、というのがこの本の重要な趣旨の一つです。

エントロピーとは「ものの乱雑さ」を表す物理指標で、例えば整理整頓された机はエントロピーが低く、散らかった机はエントロピーが高いといえます。

量子にはエントロピー増大の法則に従い、常にバラバラになろうとする力が働いているため、人間を含むあらゆる生命体は何もしなければそのまま死に絶え、腐敗し、分解されます。

生きるために食物を摂取するということはすなわち、増大するエントロピーを低下させ、バラバラになろうとする量子の力を抑え込むということでもあります。

自分たちの存在や死生観から、食べるという日常生活の行為まで、新たな視点を通じて捉え方や感じ方の幅が広がる、まさに「視座としてのテクノロジー」をよく表した例と言えます。

デジタルとアナログで認知する世界の違い

量子力学とは別にもう少し身近な例をご紹介したいと思います。

それは「デジタルとアナログ」です。スマホやパソコン、テレビや車に至るまで、今やみなさんの生活はデジタル技術を使ったもので溢れ、切っても切れない存在として浸透しています。

最近ではDX(デジタルトランスフォーメーション)というキーワードに象徴されるように、企業活動においてもデジタル技術の必要性は増すばかりです。

そもそもデジタルとは一体何でしょうか。デジタルとアナログの違いは何でしょうか?

それは「対象とするものや扱う情報が有限(離散値)であるか無限(連続値)であるか」ということです。

1から10までの数値をアナログ情報として捉えると、その取りうる値は1.123もあれば2.432, 3.5432, 5.232123… と「無限に」存在しますが、デジタル情報の場合はその取りうる値に必ず限りがあります。

例えば私たちの人体は周囲の世界を、五感を通じて無限のアナログ情報として認知していますが、カメラやマイクなどのデジタル機器はこういった無限の情報を削ぎ落として有限な情報として取得しています。

CPUやメモリと呼ばれる「有限の計算資源」を持ったデジタル機器で、映像や音声のように本来無限の情報を取り扱うためには、情報を削ぎ落とし有限にする必要があるためです。

また、そうすることで、コンピューターによる計算処理の結果から「揺らぎ」や「不安定性」が排除されるため、電子機器は安定した品質のサービスを消費者に提供できます(昔のアナログテレビやレコードは映像や音にノイズが含まれたり再生中に飛んだりしていました)。

ただ、これらは裏を返せば、デジタル機器を通じて認知する情報は全て「現実世界の情報が削ぎ落とされたもの」であるということです。

前述のように、私たちは五感を通じてこの世界のあらゆるものを無限の情報として、余すことなく認知しています。

この身で感じた美しさや感動、熱狂はそれをもたらす無限の情報量があってこそで、デジタル世界でそれらを完全に再現することは難しいと言えます。

また、「揺らぎ」や「不安定性」という性質は、未完全だからこその味が感じられる場面も多いと思います。

「デジタルとアナログ」という対比により、私たちの認知する世界について新たな視点でそのあり方を再認識することができる例ではないでしょうか。

視座としてのテクノロジー

今や私達の日常生活や企業活動は、テクノロジーとは切っても切れない関係となりました。前回の記事で述べたことと同様に、「視座としてのテクノロジー」を取り入れることで日々の出来事や感じている事を新たな視点で捉え直し、より豊かな生活を送る手助けになればと思います。